1989年1月17日深夜、一本の電話が鳴り響いた。「今から退団会見やるから席を用意しろ」。この衝撃的な言葉を放ったのは、当時三冠王の打者として名を馳せていた落合博満氏だった。当時、彼は中日ドラゴンズの4番打者として活躍しており、その監督である星野仙一氏とは深い確執があったとされている。星野監督は選手たちに厳しい指導で知られ、落合氏の「オレ流」の独自の自己管理法とは相容れないものだった。
この確執が公になるきっかけは、中日の厳しい体重管理制度への落合氏の疑問だった。「俺は体重計には乗らない」と語った発言が、監督批判としてメディアに取り上げられ、事態は一気に悪化した。翌日、球団は前例のない2か月間の出場停止と200万円の罰金を通告。これに対し、落合氏は「退団会見を行う」と強硬な態度を示した。
その後、信頼する第三者・稲尾和久氏の仲介により、両者は互いに謝罪し、この事件は一応の決着を迎えた。長い歳月を経て、当時の真相が今ようやく語られ始めている。