1958年にプロ入りした長嶋氏は、瞬く間にスター選手となり、数々の打撃タイトルを獲得。1964年、東京オリンピックでコンパニオンを務めていた秋子さんに一目惚れし、4年の交際を経て結婚。二人の間には四人の子供が誕生しました。
しかし、家族との関係は順風満帆ではありませんでした。長男の和重氏は「家族団らんなど一度もなく、旅行も行ったことがない」と語り、家庭内の孤独感を明かしています。長嶋氏は息子の和重氏に厳しく接し、プロ野球界からの引退も自身の手で告げました。
2004年、アテネオリンピック日本代表チームの監督を務めていた長嶋氏は、脳梗塞で倒れます。公式発表では自宅での発症とされましたが、実際には愛人宅で倒れたとの噂が。和重氏が急遽自宅に連れ戻し、救急車を呼んだと言われています。